書評

「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」レビュー 日本人が持つ特異な宗教観

池上彰の宗教がわかれば世界が見える

こんにちは。ロビン(@chiteki-robin)です。

今年もあと残りわずか。

今年の目標が何だったのかすっかり忘れてしまいました。

一応考えたはずなんだけど・・・

確か何かで発言をしたはずなのに、自分の発言が一切思い出せません。

知ってる方はどうかこっそり教えてください。

私の今年の目標は何でしたか??

忘れちゃうぐらい幸せに過ごせたんだということで。

2018まもなく完結。

 

「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」

 

政治と金と宗教の話は人前でするな、と昔からよく言われていますが

語らないから何もかもうやむやになっちゃう訳で、分かり合えないから不満が募って対立しちゃう訳で、話をしないことにはまず解決にならない。

もっとオープンにどんどん話をしていくべきだと思う。

自分の意見が否定されるのは誰だって怖い。

話を聞く方も一方的に非難するのはやめて、ひとまず聞こう。

人の話を聞きましょう。

 

初めて池上彰さんの本を読んだのですが、めちゃくちゃわかりやすかったです。

池上さん曰く「宗教はよく死ぬための予習」で、よりよく死ぬことは、よりよく生きることと仰ってます。

私自身、宗教の教えそのものより、なぜ人は宗教を信じるのか?ということに興味があって、いつか宗教については書きたいと思っていました。

 

日本人の宗教観について

よく日本人は無宗教だと言われていますが、宗教をないがしろにしている訳ではありません。

寺や神社のような神聖な場所で暴れたり騒いだりしないし、信者ではなくとも教会の十字架の前でお行儀の悪いことはしない。

信じていようとなかろうと、それぞれの「神様」の前で失礼なことは決してしない。

どの「神様」も大切にする。

日本人は「常識」と考えているけど、他の国から見ればこれはすごく「特異」なこと。

「八百万の神」と言われるように、元来日本では至る所に神様がいるという信仰が古くからあり、水の神様、火の神様と自然が織りなす様々なものに神様が宿っているという考え方が定着していて人々に浸透しています。

日本以外に、東南アジアなど緑豊かな恵まれた土地でもジャングルの中に様々な精霊が宿っているという考えがあり、このような信仰は豊かな自然が育まれた土地に多い。

それに対して砂漠地帯では、厳しい自然の中で人間は無力で抵抗する術がない。神様によってすべてが造られているという信仰が深まり、厳しい規律を伴った一神教が生まれやすい環境だったと言われています。

無宗教な日本人と言われているけれど、日本人に宗教観がない訳ではない。

色んな宗教を容認する柔軟さを持っているのは、素晴らしいことだと思う。

もっと胸を張っていいよ、日本人!

 

この本を読んで初めて知ったのが、アメリカではキリスト教徒でなければ大統領になれないということ。

アメリカでは当たり前のように誰もが知っていることだけど、日本では総理大臣がどのような宗教に属しているのかなどまず問題になることはありません。

かつてカトリック教徒は大統領になれないと言われていました。

カトリックの最高権威はローマ法王にあり、カトリック教に属すということは他国に忠誠を誓うことになるのではないかという大きな問題になりかねないからです。

カトリック教徒だったケネディーは政教分離を宣言し、国家への忠誠を誓いました。

 

アメリカには進化論を信じない人が多数います。

人類は猿人から始まり、原人、新人へと進化を遂げたという説を否定する人々です。

この説は、神が人間を造ったという聖書の内容と矛盾します。

そのため、人間と恐竜が共存していたことを証明する博物館やグランドキャニオンは神が一日で造ったと説明する看板が立てられていたりします。

聖書によると宇宙が誕生してから六千年しか経っておらず、何百万年もかけて動物や人間が進化を遂げたり、地形が変化したりすることは絶対にありえないことだからです。

私たちの「常識」では考えられないけど、身近な国と思われているアメリカも私たちが思っている以上に宗教国家なのです。

 

イスラム教について

日本で生まれ育った私はあまりイスラム教に馴染みがありません。

 

  • 日に5回の礼拝をする
  • ラマダン月の断食
  • 豚肉を食べてはいけない
  • 酒を飲んではいけない
  • 女性は体を隠す

 

まだまだ他にもコーランに記載されている内容は多く、すべての内容を覚えきるのは一般人には不可能と言われています。

厳しい規律を頑なに守ってまで、ひとつの神様を信じられるということは日本人から見れば驚異的なことに思えるのではないでしょうか。

 

自爆テロの倫理

イスラム教では自殺は禁じられています。

私が不思議でならなかったのは、これほど神に忠誠を誓った敬虔なイスラム教徒がなぜ自爆テロに走るのか?ということです。

事の発端は1973年、第四次中東戦争でエジプトのサダト大統領がユダヤ教国のイスラエルとの戦いを「ジハード」と呼び出したことに起因します。

イスラム教徒の領土を守るための自衛の戦い、ということです。

自爆テロを一般化させたのは、レバノンのシーア派組織「ヒズボラ」です。ヒズボラは圧倒的な軍事力を持つイスラエルに対抗するため、自分の体を武器にするという考えを生み出しました。

イスラム教では自殺を禁じられているので、「これは自殺ではなくジハードだ」という理屈にする訳です。

そしてコーランの教えでは「ジハードで倒れた者は神のみもとで生きる」とあり、死を待たずして天国に直行できると考えられているのです。

イスラム教徒の99%はこの世で良い行いをしていれば、来世は必ず天国に行けると信じています。

9.11はイスラム教徒にも多大な影響を与えました。この十数年の間で、自爆テロはかっこいい、天国に直行できると考える若者が増えたことも事実です。

 

私は何の宗教にも属していません。

でも、自分のすべてを委ねられるような揺るぎないものを信じたいという気持ちは常にあります。絶対不変の真理を探しているけれど、100%共感できる考えにまだ出会えていません。

限りある人生の中で、心の拠り所を見つけられた人は幸せだと思う。

宇宙には大きな力が働いていて、科学では説明できないような奇跡が起こっていて、それは「何か」の力だとしか思えない。

その「何か」を信じたいけれど、それを「神様」という言葉に置き換えると違和感があるのです。

だからと言って、宗教を信仰することは悪いことだとは思いません。

ただ、コーランに書かれていないからという理由で核兵器の所持が許されたり、自爆テロが推奨されたり、共産主義を貫き通すためにカトリックが弾圧される姿を見ているのは悲しい。

私の意見は彼らから見ると、「間違っている」だろう。

「正しい」のか「間違っている」のか、「良い」のか「悪い」のか物事をはかる尺度が極端に限られてしまうと 苦しくなる。二つの選択肢で対立し合うしかない。

でも、どんな宗教に属していても同じ人間なら友達や家族を失うことがどんなに辛いことなのかわかるでしょう。

ひとつの偏った思想に傾倒してしまうと必ず悲劇が起きます。

自分に信仰の自由が許されているように、他者の信仰の自由を許すことはできませんか?

 

宗教を学ぶことは色んな価値観に触れること。

世界の統計で、二人に一人は何かの宗教を信仰していると言われています。

宗教に属す人が半分、宗教を持たない人が半分。

それを知った時、自分の中で不思議な安堵感が生まれました。

世界はちゃんとバランスが取れている。

 

本来、宗教とはよりよく生きるために信仰するもの。

教えを守るために戦争をしたり、罵り合ったりするものではない。

どの「神様」もきっとそんなことは望んでいないでしょう。

 

宗教を持たない世界の半分の人たち。私も。

宗教を持たないことで多角的な視点で物事を捉え考えられる力があるのだから、新しい形で何か答えを生み出していけるはず。

人は誰でもよりよく生きたいと願っている生き物だと思う。

たとえ、あなたの心の中に神様がいなかったとしても。